「写真気に入ってくれた?」
「うん、おかげでね。ありがと」
「お礼はいいから…」
忘れ物を取りに誰もいなくなった教室に戻ると、小さな話し声が聞こえてニックは思わず足を止めた。何も身を隠す必要はないのだけど、何となくドアの陰から中を覗くと…。
「!」
智が教室の壁に寄り掛かりながらチアリーダーのクリスティーナとキスをしているのが見えて、驚いたニックはまるでコントのように物音を立てて2人に気付かれてしまった。
「もーやだァ」
壁と自分の体で智をサンドするようにピッタリと寄り添っていたクリスティーナが、ニックに気付くと、顔を赤らめつつも不機嫌そうに智から離れて「じゃ、またね」と智に言うと、小走りにニックの脇を走り抜けて教室を出た。
「何覗いてんのッ」
ニックの横を通る瞬間そう言って睨む彼女を、ニックはポカンと見送った。それから我に返って智に振り返ったニックは開口一番に言った。
「智…おまえ、クリスティーナと付き合ってたのか?!」
「うん…?」
「キスしてたぞ!」
「声が大きいよ、もう!デカイのは体だけにしろよ」
ニックの慌てっぷりに押されて智も赤くなって言い返す。
「でも…そっか。謎が解けた」
と、急に冷静口調になって呟くニック。
「は…?」
紅潮した智の頬も一気に戻ってキョトンとする。
「あいつチアリーダーの癖に同じ体育会系の野郎と付き合わないと思ったら…そうか、おまえの事が好きだったのか」
「…ニック?」
「なーんだ。一瞬レズかと思ったけど安心した」
そう言ってニックは笑った。智はニックの前まで歩いていって、ニックを覗き込んだ。
「ニック…ひょっとして彼女が好きだったのか?」
「別に。ちょっと可愛いと思ってただけだよ」
「ちょっと?かなり可愛いと思うけどね。中身も親切だし」
「…何だよ、それ。自慢してんの?」
「そっちだって何だよ、その僻みっぽい台詞は。バスケ部のエースが」
「あのなッ、ブロンド頭で背が高くてスポーツやってりゃ誰にでもモテると思ったら大間違いなんだよ。世の中そんなに甘くないんだよ。悪かったなッ」
「……」
ポカンとする智の顔の前で、全てを言い切ったニックがハァハァと息を切らした。


1時間後。智とニックは、学校帰りの海岸沿いを2人で歩いていた。
「俺の写真?そんなのクリスティーナに頼んでたの?」
「うん、彼女が知り合いのカメラマンから貰ってきてくれたんだ」
「ふーん…それって俺のファンて事になるの?」
「あ、念の為に言っとくけどカズはストレートだよ」
「そんな事思ってないよ」と、ニックは思わず笑った。
「でもさ、智」
「うん?」
「俺、トニーん家には行くよ。どーせデートの相手もいないしね」
「……」
特に動揺する事もなく、智は冷めた瞳のままだった。
「あっそ」
「そうだよ。智の言いたい事は分かってる。ハメ外し過ぎると出場停止になるっていうんだろ?」
「……」
「大丈夫だよ。俺はコーラかルートビアしか飲まないから。マリファナなんか頼まれたってやんないし」
「もういいよ。好きにしろよ」
「良くない!」
「?!」
立ち止まって両手で肩を掴んで、しっかりと面と向かわせるニックに、智は驚きの表情を見せた。
「ムカついたけど嬉しいんだよ、俺。智が心配してくれて!」
「ニック?」
ポカンとする智に、ニックは言った。
「智の言う事は聞かないけど…それは嘘じゃない」
智はボンヤリとニックを見つめ返した。その思いに微塵の嘘もないのは智にだって分かっていた。
「でもな、ニック…自分じゃどうしようもない時って…あんだろ?」
「…智?」
「あるんだよ、そういう時って」
まるで独り言のように呟く智が、何だか泣きそうに見えた。
「智、何なんだよ?言ってくれよ?俺、智みたいに頭良くないけどさ…何なのか知りたいよ」
「ニック…」
瞬間、智の腕時計のアラームが鳴る。
「あ…ヤバ」と、アラームを止める智。
「どっか行くの?」
「家庭教師の時間だ」
「家庭教師?おまえが?誰の?」
「カズの。週2回で教えてんだ」
「へー…やっぱ秀才だ〜」
軽くおどけるニックに、智は苦笑しながら手を振った。
「ほんじゃ」
「…智」
「?」
「その子…カズナリだっけ?」
「うん?」
「試合、勝つから。伝えてくれる?」
「……。うん」
そう言って頷いた智は微笑んでいた。
「?……寒」
智の姿が見えなくなると、季節外れの冷たい風が吹いて、ニックは小さく呟いた。見上げた空が曇っている。
「……」
少しの間、不安そうな瞳で空を見ていたニックは、珍しく一雨来そうな夕暮れの中を走り出していった。


トニーの家の広いリビングは、ほぼ1クラス分の男女で溢れ返っていた。他の高校の生徒も混ざっているようで知らない顔もいるが、皆ニックと同じ位の年令なのに大人びて見える。普段から学校と部活の繰り返しで、このバカ騒ぎの慣れない雰囲気に最初は少々戸惑っていたニックだが、いざ来てみると1時間後にはすっかり場に溶け込んでいた。智の忠告を聞かずに来た事に全く罪悪感がない訳ではなかったけれど、ニックは少し拍子抜けしていた。
「?」
賑やかな空間の中、一緒に連れ立って来た同じバスケ部のジムやリッキーはと見てみると、それぞれがニックの見た事のない女の子とソファーの上でキスをしているのではないかという位に身を寄せ合っていた。それを見たニックは小さく溜め息をつくと、隣の1番賑やかな部屋へと向かった。そう言えば、アイツはどこにいるのだろうと思いながら…。
「あ…」
智の姿を見つけたニックは、なぜか安心したような気分になった。持っていたルートビアの瓶をラッパ飲みしながら壁に持たれて、ニックはボンヤリと智の姿を眺めた。そこには今まで見た事のない智がいた。クリスティーナともう1人、智と同じ位の小柄な金髪の少年と3人で、智が踊っていた。2人に挟まれながら楽しそうに体を揺らしている。その3ショットは可愛くも何となくミステリアスな雰囲気が漂っていたけれど。
「…?」
ふいに背後に気配を感じてニックが振り向くと、来た時に誰かに紹介されて挨拶した黒髪の男が立っていた。どこかは知らないが違う学校の生徒で、ニックと同じ位の体格の良さが印象的だった。何て名前だっけ…?と考えていると。
「マイクだよ。憶えてないか?」
彼はそう言うと、ボンヤリとしているニックの肩に手を置いた。
「うん…ごめん、人に酔ったみたいだ。でも思い出したよ」
何故かは分からないけれど会った時から本能的に彼に対して反感を覚えていたニックは、やんわりと彼の手を肩から退かせると、愛想笑いで答えた。
「もうすぐ試合だって?」と、尋ねてくるマイク。
「あ…うん」
「バスケ部のエースってのは大変だよな。やっぱり模範生でなきゃダメなんだろ?教師や親からのプレッシャーもあるんだろうし」
妙に知ったような言い方の彼にニックは少しムッとしていたが、目は智の方を見たまま首を振った。
「別に。俺は好きな事やってるだけだから…」
「そうは言ってもストレスはたまるだろ?」
「え?おい、ちょっと…」
いきなり手を引っ張って連れ出すマイクに、ニックは驚いた。人気のないキッチンの隅に引き込まれたニック。マイクが差し出したのは、小さなビニールに入った白い粉。
「…?」
「これでハイになってみないか?」
「……」
それがドラッグだとニックが理解するのに数秒かかった。ニックはゆっくりと男の顔と小さな袋を見比べると、持っていたルートビアを脇のテーブルに静かに置き、低い声で言った。
「悪いけど、そんな物必要ないから。俺には」
「イイ子ぶるなって…」
「ぶってないよ、触るな!」
しつこく伸ばして来る手を思いっきり強く跳ね除けた。ニックの大声に、側にいた数人が何事かと振り向いたが、すぐに騒音に掻き消された。ニックはそのまま部屋の方へ戻った。
「!」
廊下の角を曲がった所でニックは、踊り疲れてリビングに戻ろうとしていた智とぶつかった。
「智…」
「どうした?」
ニックの表情から何か悟った智は、ニックの肩越しに見えた男を見て、顔色を変えた。智の視線を追って振り向いたニックは、後を追ってきたマイクに向かって怒鳴った。
「しつこいな…ほっといてくれよ!」
「ニック、マイクの奴に何言われたんだ?」
「智…あいつドラッグ持ってた」
「知ってるよ」
「!?」
大きく目を見開いたニックだが、智はジッとニックを見つめ返して言った。
「マイクの事は知ってる。でも、そんなのはどうでもいいんだ。おまえがあいつの誘いに乗ってなけりゃ」
「乗る訳ないじゃんか!」
「……よかった」
「智…」
すると2人の背後から、マイクの声が言った。
「おいおい、何マジになってんだよ?ちょっと楽しみたいだけだろ?智、おまえ姉貴の事があるからって…」
瞬間、ボンヤリしていた智の目が鋭く光り、スタスタとマイクへ歩み寄ると「ちょっと来い」と、その腕を掴み、テラスを抜けて外へ出て行った。ポカンとしていたニックは慌てて追い掛けた。
「大変だ…智が殺されちゃうよ」
何も知らずに騒ぎ続ける人込みの中を走り抜けて、ニックは智とマイクがいる裏庭へと飛び出した。
「マイク、おまえがどこで何しようが勝手だし俺の知ったこっちゃない!けどな!」
智の鋭い声が、ニックの耳に届いた。
「けど何だよ?文句あんのかよ!」
「何も知らない奴を巻き込むな!」
「おまえこそすっこんでろ!」
そう言って智の体を勢い良く押すマイク。智の倍はある体格のマイクの力は思いの他強く、智の体は大きく吹っ飛んで芝生の上に転がった。
「!」
それを見たニックは、何の迷いもなく真っ直ぐにマイクめがけてダッシュした。
「?!」
次の瞬間、今度はニックに体当たりされたマイクの体が大きく吹っ飛び、そのまま庭のプールに水飛沫を上げて落ちた。
「智に何すんだよ!」
「大丈夫だよ…ニック」
酔いがまわった所をどつかれたせいでクラクラしてしまった頭を押さえながら、智はそう言ってノロノロと立ち上がった。
「大丈夫じゃないよ!あんなデカイの1人で相手するなんて正気じゃないよ!」
「話してただけだよ…」
「話だけで済むかよ、あんなヤバそうな奴!もしナイフとか銃とか持ってたらどうする気だったんだよ!」
「おい、どうした?!」と、異変に気付いたトニー達がやってきた。
「あいつが…」
ニックが話すと、事情を知ったトニーがマイクを家からつまみ出してくれて、ようやく事態は元の平穏を取り戻した。


まだ1人で外にいた智の所へ、落ち着きを戻したニックがやってきた。
「…智」
テラスの椅子に座っていた智はニックに振り向いたが、何も言わなかった。中の騒がしい音をボンヤリ聞きながら、2人は夜の静かな潮風に前髪を揺らした。
「クリスティーナは?」
「さっき家に返した。エリックの車で」
「エリックって、さっき智と一緒に踊ってた奴?」
「うん」
「エリックってさぁ…智の事好きなんだろ?」
「……」
黙る智に、ニックは微笑んだ。
「見てて分かったよ。で、クリスティーナもそれを知ってる。エリックも智と彼女が付き合ってるの知ってるから、エリックは友達でいいから智と一緒にいたいんだろ?完全にエリックの片想いだけど、おまえは友達として彼を受け入れてる。…凄く良い関係なんだね」
「正直にキモイって言えば?」
「全然キモくないよ。ホントだよ、智」
ニックの微笑みは決してからかうのではなく、とても優しいものだった。
「智、俺に来るなって言ったのは、あいつ…マイクが来るの分かってたから?」
「あァ…そうだよ」
「あいつ、売人なの?」
「正確にはあいつの兄貴がね。裏で色々やってる…だからヤな予感がしたんだよ」
「そうなんだ…ハハハ、智の言う事聞いとくんだったな」
そしてニックは、恐る恐る尋ねた。
「でも智は…智はドラッグなんてやってないんだろ?」
「やってない」
否定した智に、ニックがホッとしたのは束の間だった。
「でも姉貴がやってた」
「え…?」
「ドラッグ中毒で死んだ。ずっと昔だけどね」
「そんなの知らなかった」
「そりゃそうだよ…おまえが転校して来る前だもん」
ニックは体中の力が抜けたように、智の隣に座り込んだ。
「姉貴は高校生だったんだけど、いつの間にかそういう奴らとつるむようになって…気が付いた時は遅くて」
「そんな…」
「俺は何も出来なかった」
「そんなの当たり前じゃないか…智まだ小さかったんだろ?」
「ん…でも良かった」
「え?」
「今日おまえに何もなくて」
「智…」
「1番狙われ易いんだよ、おまえみたいなのが」と、クスッ笑う智。
智がニックを来させたくない理由が全て解かったのと同時に、ニックは何か不思議な感覚に襲われた。
「良くないよ…」
「…ニック?」
「俺…バカみたいじゃないか、智」
「…何でおまえが泣くんだよ?」
涙を流すニックに、智は驚いた。
「智のそんな事なんか知らずに…ただ智にムカついて…俺バカみたいじゃん。どうして言ってくれなかったんだよ!」
「それは…言いたくなかったんだよ!」
立ち上がってニックを振り切るように歩き出す智を、ニックはすかさず追い掛けながら言い返した。
「そりゃお姉さんの事は思い出したくないだろうけど、でも言って欲しかった!」
庭を横切った所で立ち止まると、智はニックに振り返った。
「とにかく俺がおまえに嫌われるだけで済むだろ?誰も傷付かないし!」
「傷付くよ!俺が傷付くし、それじゃ智も傷付く!そんなのはイヤだ!絶対ヤだよ!」
言い合う2人の声が大きくなるのは、ビーチの方で鳴り響く花火の音のせいだけではなかった。
「智は肝心な事を忘れてるよ。だって俺はどうやっても智を嫌いになれないもん!智は俺が嫌いなのか?!」
「違うけど…」
「違うけど?…違うけど何だよ?!」
「それは知らなかったな……ホントに?」
「ホントだよッ。ドラッグの恐さは誰よりも知ってるのに、そんな事も知らなかったのか?」
「……」
「だから俺に嫌われてもいいなんて思うなよ!二度と思うな!」
「分かった……ごめん、ニック。ホントにごめん…」
しゃくり上げるニックにつられるように智の目も潤んでいた。ニックの大きい背中を摩りながら引き寄せると、ニックも智に腕を回した。大きなニックがスッポリと智に覆い被さる形になってしまっているが、暫くの間2人は無言のままでハグし続けた。
「!」
週末のビーチに上がる花火の最後の1発が一際大きく夜空に咲いた。顔を上げて、智とニックは黙って見上げた。それを見ている2人の黒と青の瞳が、同じ色の光に染められていた。


「まぁまぁ櫻井神父、そんなに緊張しなくても、神はお守り下さるよ」
明日のミサの準備を終えたブライアンは、今から緊張気味の櫻井翔に話し掛けた。彼は、この教会に配属されて日が浅い新米の神父であった。明日のオルガン演奏を初めて任されたのである。
「か、からかわないで下さい、リトレル神父!」
必死に冷静を保とうとするものの舞い上がりっ放しの翔に、ブライアンは悪戯っ子のようにクスッと微笑んだ。そして居間の棚に飾ってある写真を手に取る。それはブライアンが撮影した聖歌隊の子供達の写真だった。
「これを見なさい。まさに天使達でしょう?明日キミも彼らに会えば、その緊張も吹っ飛んでリラックスしながら弾けるよ」
「そうでしょうか…間違えたりしたら、この子達に怒られないかな」
「大丈夫、安心しなさい。…あ、でも明日歌うのはこの子達じゃないけどね。明日の天使達は、この子達の後輩さ」
「え?」
「これは7〜8年前の写真だからね。僕がココに配属されたばかりの時に撮った物なんだ。ちょうど今夜のキミと同じだった。初めてのミサは緊張したな」と、笑う。
「そうなんですか。でも、ホントにみんな美しい目をしてますね。…この子は日本人ですか?」と、列の真ん中で歌っている1人の男の子を指差して、翔は問い掛けた。
「あァ、そうだよ。キミと同じ国から来た子だ。名前は智」
「サトシ…」
「そのうち紹介するよ」
いつの間にか安らいだ気持ちになっていた翔は「はい」と頷きながら微笑んでいた。


「おーい、2人とも起きろ!もう閉店だ!」
真夜中のコーヒーショップ。窓際の席で向かい合わせに高いびきをかいていた2人の少年の頭上で、AJの声が大きく響いた。
「んあ?…あーやべ!寝ちゃった」
「え、嘘、マジで」
寝ぼけながらバタバタ起き出す智とニックに、呆れ気味の店長はチューインガムを1枚ずつ差し出しながら言った。
「ッたく世話の焼ける…こんな時間に未成年入店させてちゃホントはヤバイんだぜ?」
あの後、悪ノリした他の誰かが庭のスプリンクラーを壊して近所の人に警察を呼ばれてしまい、パトカーが来る前に逃げ出した何人かに混じって、智とニックもあれよあれよという間に2人でニックの車に乗って飛び出してきたのだった。そしてAJの店に避難していた。
「ごめんごめん、AJ…すぐ帰るよ」
「どうもご馳走様…マスター」
慌てて帰り支度をする2人を見て、AJは苦笑した。
「おまえらスッカリ仲良くなっちまったな」
「いや、成り行きでね…」
「うん、成り行きで」
意味深にアハハハと笑う2人を送り出しながら、ふいにAJが言った。
「なんか…おまえら2人ソックリだな。俺には見分けがつかねーよ」
するとドアの所に立つAJにキョトンと振り向いて、2人はハモリながら言い返した。
「「…どこが?!」」
AJはクスクス笑いながら「じゃあな。またお越し下さい♪」と、CLOSEの札をぶら下げたドアを閉めた。


数時間後に再び智が目を覚ましたのは、自分の部屋のベッドだった。ムックリと起き上がって、ふと気が付く。雑魚寝のように壁際のソファに横たわっている大きな体が1つ。
「……」
ソファで能天気ないびきをかいているニックの寝顔をボンヤリと見ながら、智はTシャツの首から手を突っ込んで自分の肩の辺りをボリボリと掻いた。それから窓の外を見やると、もうスッカリ朝だった。日曜の朝である。
「あ……そうだ」
何かを思い出した智は、暫く目覚めそうにないニックをそのままにして、ノソッ…と立ち上がり、部屋を出て、自転車に飛び乗ると、教会へ向かった。


「……。神父様は何でもお見通しなんだね」
智はそう言いながら、キュッ…と音を立てて、水道の蛇口を閉じた。聖堂の中から聴こえていた音楽が静かに終わると、拍手が聞こえた。
「まさか。俺は神じゃないよ、智。ただの人間だ」
「俺だって…そうだよ」
「そうだな。だからこそ見守っていてくれるのさ。おまえの姉さんも…」
「……」
「お母さんもね」
「何で?…俺の顔も知らないのに」
ブライアンに振り返らず、その表情を見せないまま、智は呟くように言った。
「智を産んで息を引き取ったから?…それでもね、ちゃんと智が分かるんだよ」
「そう…かな」
「そうだよ」
「……」
「きっと2人は昨夜…智だけじゃなくて、おまえの友達の事も守ってくれたんじゃないかな」
そう言って、智の腕を優しく引いて振り向かせると、ブライアンは智を抱き締めた。智が顔を伏せたブライアンの肩から、透明の雫が流れ落ちて、ゆっくりと法衣に染み込んでいった。穏やかな鐘の音が鳴り止んでも、ブライアンは智の震える背中をずっと抱いていた。


「……わっ★」
ニックが目を覚ますと、キョトンとした黒い瞳が覗き込んでいて、思わず飛び起きた。
「だ、誰…あ、もしかしてキミが和也?」
憧れのエースが目の前にいて興奮している和也は「おはよう。智なら、もうすぐ帰るよ」と、智の勉強机にあったノートにサラサラと書き殴ってニックに見せた。するとニックはニッコリと笑って、見事な手付きで指を動かしながら言った。
「大丈夫。俺、こう見えても話せるから。昔ね、ボーイスカウトで習ったんだ」
驚きの連続と嬉しさでポカンとする和也。ニックはおもむろに時計を見た。
「あちゃー、もうすぐ昼か。ねェ、腹減らない?」と、ニックは起き上がると、コクンと頷く和也の手を引いて部屋を出た。


「あ、お帰りー。キッチン借りてるよん♪」
朝の教会から戻った智が目にしたのは、包丁で日本ソバをカットしているニックと、その横で天ぷらを揚げている和也という、何とも凄い光景であった。
「何やってんだよ…おまえら」
「何って見りゃ分かるだろ?ランチの準備だよ。しかしソバ作るのって大変だなー。おまえも手伝えよ、智」
「ニック…何おまえ、ソバ捏ねたの?」
「そうだよ。俺得意なんだぜ♪…おまえやこの子の顔見てたら何だか無性に食いたくなって。でも家じゃこんなの作れないし」
「あのさ…日本に住んでる日本人でも今時ソバから作る奴なんていないぞ。買ったの茹でて終わり……カズも何フツーに手伝ってんだよ」
(もー、智ッ、ボーッとしてないで手伝ってよ★)
呆れる智に抗議する和也。
「あーほら、湯が沸いた。智、ほら早くダシ入れて!」
それから数分後、窓に広がる昼下がりのサンタモニカビーチをバックに、テーブルを囲んで満足げに日本ソバを啜る3人の姿があった。


サンディエゴ高校との試合当日。空は眩しく晴れていた。体育館の前でニックの姿を見付けると、和也はパッと微笑んで、被っていたキャップを後ろ向きに回しながら走り出し、ニックに飛び付くように抱き付いた。
「和也、しっかり見守っててくれよな」
そう言って抱き締めるニックに、和也は大きく頷いた。
「智は?」
と、キョロキョロするニックに、和也が指差す。
「…あいつホントに学年ナンバー1の秀才なのかな」
眠そうな智がノロノロと歩いてくるのが見えて、ニックは呟きながら脱力した。
「智、おまえ試合中に寝やがったら承知しないぞ」
「寝ないよ〜…んな事したら、おまえよりカズのが怖いもん」
と、笑って言い返す智に、ニックも笑った。そして。
「ニック」
「ん?」
「頑張れよ。ちゃんと見てる」
「…うん。分かってる」
さっきのふざけた表情とは明らかに違う瞳で、2人は微笑み合った。ニックが差し出した手に、パン!と元気な音を立てて智の手が重なり、そして強く握り合った。
(智、一体ニックと何があったの?)
開始前のウォームアップに向かうニックを送り出して、2人でブライアンや翔が待っている応援席に向かう途中、不思議そうに尋ねてくる和也に、智はクスッと微笑んだ。
「いつか教えるよ。カズが、もーちょっと大人になってからな。それまではTop Secret」
そう言って悪戯っぽく和也の手を引き、智は人でごった返す広い階段を駆け上がっていった。

―END―



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